2月15日付の毎日新聞で、以下の報道がありました。
未成年者のインターネットやゲームへの依存を防ごうと、香川県議会が、18歳未満の使用制限に踏み込んだ全国初となる対策条例の制定を17日開会の2月定例会で目指している。提出する条例案は、「ゲームは1日60分」などと家庭内で守るべき「基準」を規定。罰則がないため実効性は低いが、「家庭への介入」「学業との両立は可能」などと反発も相次ぐ。条例での規制については、専門家の意見も分かれる。(令和2年2月15日付け毎日新聞より引用)
このような青少年のゲーム時間を制約する条例について、
司法試験の問題として、合憲性をどのように検討すれば良いか考えてみましょう!
その辺にある問題よりも勉強になるかもしれません。
①まず考えるべきは、そもそもこのような条例が「法律の範囲内」と言えるかどうかですね。
条例自体の形式的な合憲性を検討することになります。
ここでは、
いわゆる徳島市公安条例判例の規範にしたがって、考えることになります。
(この規範はそのまま覚えて使えるようになる必要があります)
それぞれの趣旨、目的、内容及び効果を比較し、両者の間に矛盾抵触があるかどうかによってこれを決しなければならないとし、
❶まず対象が重複するか、重複する場合は目的や趣旨が同じか、
A 同じなら全国同一内容の規制の趣旨として規制を許さないか
B 異なるなら法目的・効果を妨げるないかどうか
❷もし対象が重複しないなら、
A 規制せずに放置する趣旨か
B そうでないなら規制が均衡を失しないかどうか
を検討することになります。
ゲームに関する規制は法律上はないため、対象は重複しません。
そのため、❷Bになりますが、罰則なく、ゲームの1日当たりの時間を60分に規制していることからすれば、均衡を失するとまでは言えないでしょうか。
(ただ、ここは、結局、後述する人権制約における手段の相当性の結論ともリンクしそうですね。)
②次に、条例自体が合憲として、誰のどのような憲法上の権利が制約されているのかを踏まえ、合憲審査基準を考える必要があります。
❶まず当たり障りないとこでいけば、ゲーム会社のゲームを販売する自由ですね。
ただ、これは営利法人や事業主の営業の自由(22条1項)としか位置付けられない気がします。
そうすると、制約理由が青少年のパターナリスティックな制約にあるたため、合憲審査基準も相当緩くなると考えられます。
(そのため、これを検討しても、合憲になりそうな予感がします。)
❷では、青少年の側からとらえるとどうでしょうか。おそらくこちらがポイントでしょう。
18歳以下の未成年者のゲームをする自由が問題となります。
ここで重要なのは、このゲームをする自由を憲法上どのように位置付けるかです。
この重要性の位置付けによって、結局合憲審査基準も変わりますから。
私の時代の少し古い考え方でとらえれば、
ゲームはただの娯楽であり、憲法上の人権とまでとらえられるのか疑問があるでしょう。
せいぜい憲法13条の幸福追求権の1つの内容として言えるぐらいでしょうか。
権利の性質があまり重要ではないとなると、上記同様、パターナリスティック制約から、合憲審査基準はやはり緩められるでしょう。
これに対して、現代のゲームのあり方の変化から、
独自の権利あるいは多角的な権利性を指摘して重要度を高めることができるかもしれません。
例えば、ゲームも現在はe-Sportsとして浸透し、職業の1つとしても位置付けられています。青少年の近い未来における職業選択の自由(22条1項)に大きく関わるといえるかもしれません。
また、ゲームもないようによっては教育の一貫として利用される場合も十分あります。
これを想定すると、教育を受ける権利(26条)との関連もあるかもしれません。
さらに、YouTubeによるゲーム動画の配信やオンラインゲームを通じての交流などを考えると、
表現の自由の側面(自己実現の価値)をも有すると言えるかもしれません。
このあたりを強調していけば、
青少年に対するパターナリスティックな制約という論理をもっても、
厳格審査基準による合憲審査が必要とは言えるかもしれません。
ただし、パターナリスティックな制約と言っても、言えばいいというものではありません。
ちゃんとした裏付け、すなわち立法事実が必要でしょう。
未成年者ゆえの長時間のゲームによる弊害というものを、合理的な根拠をもって裏付けないと公権力による制約は許されないでしょう。
❸他方、「家庭への介入」という観点から、親権者の教育権なども考えうるのかもしれませんが、
親権を憲法上の人権と位置付けるのは無理があり、未成年者の独立した権利としてとらえる方が、時代の流れには沿うのだろうと思います。
③仮に厳格審査基準で検討する場合どうなるでしょうか。
立方事実がああるとすれば、
目的自体はゲームによる弊害から未成年者を保護するというものです。
制約された権利の価値を上回るほどの重要とは言えるでしょう。
そして、規制手段が目的達成のために必要かと考えると、
1日60分というゲーム時間の制約手法が上記目的達成に真に必要かと考えると、
若干の疑問はありますね。
場合によっては、60分を超えてくると具体的にこういう弊害があるというような合理的根拠がないと「必要」とは言えないような気もします。
なお、この条例では「罰則」はありませんでした。「罰則」というのは手段としてはかなり強いものですし、罪刑法定主義の要請も働きます。規制手段としてあるとないでは大違いですので、検討の際は注意しましょう。
長々と検討してみましたが、いかがでしょうか。
実際の条例の規定や議論状況まではフォローしていませんので、ずれているかもしれませんが、
司法試験の問題としてはこれぐらい考えて展開できれば十分合格点でしょう。
こういう思考訓練をしてみると、憲法のセンスは磨かれ、たいていの問題は怖くなくなります。